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心が汚れてなくても「卑猥」に見えるかもしれないパブリック・アートとは?

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パブリック・アートとパブリック・アートをめぐる論争

パブリック・アートとは、1930年代にスウェーデンアメリカで始まった文化政策で、市民が自由に出入りできる公共の場所や空間に芸術作品を設置すること、あるいは設置されるアート作品を指して言います。目的は、生活地域やオフィス街、公共交通機関のターミナルなどにアート作品を設置することで、心のゆとりや文化的生活水準の向上を計り、街に彩りと活力を与えることを目的としていますが、税金の使途と公共性、作品の選択基準やポリティカリー・コレクト(PC)問題などでしばしば論争が起こっています。パブリック・アートではありませんが、裸婦像の展示について、イギリスのマンチェスター市立美術館で議論が起こり、一時、作品を撤去した際に「検閲かポリティカリー・コレクトか」で論争になったことがあります。興味のある方は以下のBBCニュースをご覧ください。

www.bbc.com

心が汚れた大人には「卑猥」に見えると指摘されるアートとは?

さて、以下の引用記事 で紹介されているのは東京都墨田区に設置された2体の白い人形の像が、体操の時間にする「手押し車」の姿勢をとっているように見えるオブジェです。

引用記事:Jタウンネット東京都

j-town.net

墨田区景観審議会の議事録によると、近隣住民から『形状が悪い』『嫌な印象を受ける』との批判があったとのこと。引用記事にもありますが、このオブジェのタイトルは『ササエル』というもので東京藝術大学台東区墨田区の頭文字をとって名付けられた「GTS環境アートプロジェクト」の一環で、同じく墨田区によると「東京スカイツリーが良く見えるビューポイントに環境アート作品及びアートベンチを設置。このような芸術作品を見ながら街歩きを楽しんでもらう」目的でアート作品の設置やイベントを企画実施しているのだそうです。墨田区では同作品について「人と人が支えあう。テーマの『ささえる』を素直に造形したアートベンチ。そのくぼみに腰を下ろすと、三人の人間が絶妙なバランスで支えあう。思わず笑みがこぼれるユーモアあふれる作品」と説明しています。同作品を巡っては、墨田区景観審議会でも議論されていますが、同作品は町内会への説明会などを経て設置が決定されており、また『色々な感じ方や解釈があると思われるが芸術作品ということで了承して欲しい』と近隣住民には説明しており、むしろ、このようなアート作品が自然と受け入れられるような環境があれば、取り組みとしては前向きな方向に進んでいくと話しています。

アートの役割は価値観は多様だと示すこと

ということで、写真だけですが、同作品をみてみました。個人的な感想ですが、確かに、このアートをみて性的な行為を連想する人はそれなりにいるでしょうね。むしろ「人と人との支え合い」との表のテーマの裏に「猥雑な妄想を楽しむ余裕を街にもたらす」との意図を含んだアーティストによる野心的な作品なのでは、と少々歪んだ視線で見てしまったりもしますが、卑猥な視点を除いて見たときに、墨田区の審議員が言うように「(他愛ない)思わず笑みのこぼれるユーモア」とも思えます。皆さんはどう感じられたでしょうか。感じ方は人それぞれ、しかし、アート作品は「人の価値観や考え方は多様だ」といったことを、人々に考えさせるという役割も持っていますので、少なくとも、議論するのは良いことですよね。